・自分探の旅に意味があるかどうかを知りたい
今回は、こんな風に考えている人たちに向けて、僕なりの考え方を書いてみたいと思います。
実際に「自分探しの旅」に出た人たちの体験談や、その度がその後の人生にどんな影響を与えたかということを聞いた上でまとめているので、これから旅に出ることを検討している人だけでなく、
「自分探しの旅なんて意味ないんじゃないの?」
と考えている人にも読んでもらえたらうれしいです。
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目次
自分探しの旅に出ても「自分」は見つからない
自分探しの旅に出る人たちの多くは、
「自分は何のために生きてるんだろう?」
とか、
「自分は本当は何がしたいんだろう?」
という疑問への答えを探していると思います。
いつもの生活を離れて、非日常の中で過ごしたり、普段は出会わないような人たちに出会うことで、人生の意味や自分自身の本当の目的、将来の夢などを探そうとするわけです。
でも・・・
結論から言うと、自分探しの旅に出た人が「答えが見つかった!」と言って帰ってくることはほぼありません。
僕は今までに、約20人以上の「自分探しの旅」経験者と話をしましたが、その度の中でハッキリした答えに出会ったという人はいませんでした。
ほとんどの人は興味深い経験をしたり、新しい人間関係ができたりして、旅そのものには満足していたんですが、「自分の生きがいはコレだ!」というような形での気付きはなかった、ということです。
そして、これは当然のことだと思います。
そもそも人生の目的や夢というのはその人の中で生まれるものであって、たとえ世界中を旅したとしても、どこかに転がっているわけではりません。
また、自転車で日本一周をしてみたり、発展途上国のような場所に旅に行くとなると、まず考えなくてはならないのは、安全や衣食住の問題になるので、「人生の意味」のようなテーマにまで頭が回らなくなります。
「「人の役に立つ仕事」を探す人が夢を見つけられない決定的な理由」のマズローの欲求段階の話にもでてきたように、原始的な欲求が満たされていない状況での「自分さがし」は難しいんです。
結果として、
「充実した旅だったけど、結局「答え」は見つからなかったな・・・」
という風になるのが、自分探しの旅の典型的なオチです。
仮に旅の中で何かを見つけたような気分になっても、それは一時的に気分が高揚している中でそう感じるだけで、帰ってきて普通の生活に戻った途端に「あの時感じたのは何だったんだろう?」という事も多いです。
旅の中で色々な経験をすることによって「今まで見えなかった自分の新しい面に気付く」ということはありますが、たいていの場合はそれが明確な答えるなるまでにはかなりの時間がかかります。
旅に出てみたいなら、ぜひ行ってみるべき
ただ、それでも僕は「自分探しの旅」に意味がない、なんて言うつもりはありません。
というより、興味があるのなら、ぜひ行ってみるべきだと思います。
人生の意味や好きなこと、ライフワークに出会うためには、他の何よりも「考えたことを行動に移す」ことが重要だからです。
そもそも、自分の人生について答えを求めている人というのは、頭でっかちになりすぎて行動できていない事がとても多いです。
でも、実際に旅に出るとなれば、準備の段階から何が必要になるかということを自分で考えて行動することになります。
旅先で何か困ったことが起きれば、その問題に対しても自分で対処する必要があるでしょう。
自分探しの旅を通して見つけようとするような大きな答えは、結局のところ本人の「体験」を通してしか見つからないと思います。
それは必ずしも「旅」ではなく、例えば没頭できる趣味とか仕事、恋愛などを通して見つけてもいいわけですが、逆に言えば「旅ではダメ」ということでもありません。
だから、直接何かが見つかることがなかったとしても、自分探しの旅に出る意味はあります。
特に、限られた人間関係や環境の中だけで生活しているような人の場合、そこから抜け出して離れた場所で過ごすだけでも、得られる経験値が一気に大きくなるでしょう。
最初から「旅」というものに大きな期待をしないで、経験の土台作りをするくらいの気持ちで、休暇を楽しんでくればいいと思います。
前の項目では、(僕の知っている限りでは)自分探しの旅に出た人たちが「答えを見つけられなかった」ということを書きましたが、それはあくまでも「答え」の部分だけに限った話です。
昔の旅を振り返って、
「あの旅が、自分の一つの転機だったかもしれない。」
「あの旅が無かったら、今の自分はないと思う。」
というような事を言う人はとても多いので、やっぱり行動を起こす人というのは、何らかの形で過去の経験をしっかり血肉にしているんだと思います。
また、中には旅から帰ってくるんじゃなくて、そのまま旅をずっと続けながら生活している人もいます。
外国を転々としながら、自分の体験をブログなどで記事にしたり、そういう生活のノウハウを人に教えて生活しているんです。
ある意味ではそういう人は、本当に旅先で「答え」を見つけたと言えるのかも知れません。
自分探しの旅を馬鹿にする人たち
世間を見ると「自分探しの旅」に関しては、否定的な意見を持っている人がかなり多いようです。
「旅に出て舞い上がったって、帰ってきたらいつもの自分だよ?」
「新しい出会いに感謝!とかSNSに上げてる勘違いの典型www。」
「現実逃避して、自分に酔ってるだけじゃないの?」
でも、僕はそういう人たちに聞いてみたいです。
「一生懸命何かをしている人と、それを外からバカにしている人だったら、どっちの方がカッコ悪いと思う?」
って。
確かに、必死に何かを頑張っている姿というのは、周りからみればちょっと不格好かもしれません。
一生懸命やってれば、失敗だってたくさんするし、気分が舞い上がって、イタイ発言することだってあるでしょう。
でも、それをバカにしてるだけだったら、野球選手のプレーに「ヘタクソ!」とかヤジってるオジサンと変わらないですよね。
僕からしてみれば、少なくとも人前でプレーできるまでに自分を鍛え上げてるプロのアスリートに対して、出っ腹でビール片手に悪態をついてるオッサンの方が「何やってんだ!」ですよ(笑)。
話はちょっと変わりますが、たくさんのミュージシャンにカバーされている中島みゆきさんの名曲「ファイト!」の中にこんな歌詞があります。
ファイト!冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
最初から現実と闘うつもりのない負け犬の遠吠えなんて、聞き流しておけばいいんじゃないでしょうか。
自分探しの旅に関する提案
ここまで書いた通り「自分探しの旅」が、人を直接「答え」に導いてくれることはほとんど無いでしょう。
それでも得るものは多いから、行きたいと思うならぜひ行きましょう、というのが僕の考えです。
ただ、「自分探し」という意味で考えるのなら、何も「一人で発展途上国に行ってサバイバル道中」みたいな典型にこだわる必要はありません。
そこで最後の項目として、いわゆる「旅」とはちょっと違う形での「自分探し」の方法を提案したいと思います。
人に会いまくる「自分探し」
夢や目標、将来の夢が見つかったきっかけとして、多くの成功者が口をそろえて言うのが「人との出会い」です。
なので、旅行よりも興味のある人にどんどん会いに行ったほうが、自分なりの答えに近づくためには手っ取り早いと思います。
尊敬できる人や、探している答えについて面白い意見を言ってくれそうな人を見つけたら、ぜひ直接会うようにしてみてください。
仮に直接会うことが難しかったとしても、SNSなどでつながることができれば、質問をしたり意見をもらったりするチャンスはあります。
映画を見まくる「自分探し」
僕はこのブログの中で映画のエピソードやセリフを引用することが多いですが、それば僕が映画の中にロールモデル(お手本)になるような人を探したり、物語の展開からモチベーションをもらうことがとても多いからです。
良い映画は脳にとって「良質の栄養」みたいなものなので、特にインドア派の人には映画鑑賞による自分探しをおすすめしたいです。
知識や経験を積む「自分探し」
色々なところで行われているワークショップとかセミナーも、自分探しの方法として役立つと思います。
経営者や有名人に一対一で会うのが難しいような場合でも、その人が主催するイベントに参加すれば、直接交流する機会が作れるでしょう。
ただし、サークショップやセミナーの中には、無料で人を集めてからボッタクリ価格の商品やサービスを売りつけようとするものもあるので、その点には十分に注意して下さい。
今回のまとめ
ポイント
- 答えを見つけるのは難しくても、自分探しの旅に出る意味はある
- 自分探し否定派の意見に価値はない
- 典型的な「自分探しの旅」にこだわらなくてもOK