・努力をしても、報われないのが怖い
・夢は努力すれば叶うなんて嘘でしょ?
こういうテーマに関しては色々なところで議論されていますが、ここではっきりと結論を出しておくことにしましょう。
最初に言っておきますが、努力しても報われないということはよくあります。
「努力すれば報われる。」
「本気で努力すれば夢は必ず叶う。」
なんていう考え方をするのは「頭の中がお花畑」な人たちだけです。
今回は、そのことを理論的・科学的に証明してみます。
ただし、ネガティブな話だけで終わりにするつもりはないので、このページの記事に関しては、ぜひ最後まで読むようにしてみてください。
今、努力することをためらっている人にとっても、十分に役立つ話だと思います。
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目次
努力が報われない理由
まず、最初に書いた理論的・科学的な証明の部分からはじめましょう。
これはとても単純な理屈とデータだけで説明できるので、すぐに分かってもらえるはずです。
個人的な感覚や経験だけを根拠に「努力すれば報われる。」「いや、そんなはずはない。」と主張するような人もいますが、努力の意味を知る上では、絶対にこの事実をベースに考えていくべきだと思います。
競争原理の問題
「努力すれば報われるかどうか」という事を考えると、つい「自分にとって◯◯は可能かどうか」という主観的な考え方になってしまいますが、まずは世の中全体のしくみについて考えてみます。
仮にですが「世界一のお金持ちになりたい!」という人が地球上に100人いたとして、全員が死に物狂いで努力したら、その全員が目標を達成できるでしょうか?
普通に考えて、そんなことはあり得ないですよね(笑)。
理屈の上では、全員が全く同じだけのお金を持っていれば「100人が同率1位」という事になりますが、そんなことはまず実現しないと考えるのが自然です。
資産の金額が1円単位、1セント単位まで同じになる可能性はゼロに近いので、多分全員が限界まで努力しても、世界一になれるのは一人でしょう。
これは、スポーツなどにも同じことが言えます。
金メダルを取れるのも、世界チャンピオンになれるのも、普通は一人だけか、ごく一部の限られた人だけに限定されます。
世界レベルのアスリートなら、ほぼ全員が限界まで努力しているはずですが、その中でも栄冠を勝ち取れるのはほんの一握りです。
さすがに世界一となると「話が極端だ」と言われるかも知れませんので、もう少し身近な例についても考えてみることにしましょう。
例えば、僕が偶然クラスが同じになった可愛い女の子に恋をして、その子と結婚したいと思ったとします。
気持ちが盛り上がっていると、
「死に物狂いで努力すれば、必ず彼女は僕と結婚してくれるはずだ!」
なんて思ってしまうかも知れません。
しかし、もしそれが本当なら、その女の子の事情はどうなるんでしょうか?
その子は僕ではない他の男性に恋をしていて、
「私が頑張ってステキな女性になれば、きっと彼は私と結婚してくれるはず・・・」
と思っていたらどうでしょう?
僕の努力がその女の子の努力を上回れば、
「君の方が私よりも頑張ったから、私は君と結婚するわ。」
と言ってもらえるでしょうか?
そんなことはないですよね。
それどころか、どんなに大金持ちになろうが、世界一の人格者になろうが、相手の好みに合わなければ簡単にフラれてしまうでしょう。
逆に、これが努力でひっくり返せるとしたら、それはそれでやっかいです。
僕が「生理的に受け付けない」くらいに感じている女性が僕と結婚しようとして努力したら、僕はその人の望みを叶えてあげるということになってしまいます(笑)。
当たり前ですが、この世の中は、決して個人の都合で回っているわけじゃなく、たくさんの人の事情が絡み合って、複雑に動いているものです。
だから、どんなに死に物狂いで努力をしたとしても、それが報われるような形で他人の事情や世界のしくみが変わるなんていうことはありません。
少なくとも、競争の要素が働いているような、恋愛、スポーツ、ビジネスの世界などでは、努力はあくまでも「勝つ可能性」を高めてくれるだけで、「必ず報われる」なんていうのは非論理的です。
才能の問題(遺伝的限界)
これも多少は競争に影響していますが、今度は別の観点からデータを引用しながら「努力が報われない可能性」について説明していきます。
まず、人間の能力というのは、生まれつき持っているもの+生まれた後で身につけたものの合計で決まるものです。
これについては、容姿にしても、運動能力にしても、知的能力にしても、すべてが当てはまります。
僕の専門分野である遺伝学では、生まれつきの能力を「遺伝形質」それ以外を「獲得形質」なんて呼んだりしますが、ここではざっくりと「才能」と「努力」に置き換えて話をしていきましょう。
細かい分類はおいといて、
- 自分で変えられないもの=才能
- 自分で変えられるもの=努力
ということです。
「努力は必ず報われる」派の人は、努力で才能の差を埋められると考えがちですが、これは正しくありません。
能力の種類によっては、才能の割合が非常に大きいものもあるからです。
例えば、有酸素運動の能力の約半分(40~50%)は遺伝だという研究データがあります。
参考:How Much Does Genetics Really Affect Your Fitness?(英語サイト)
つまり、有酸素運動の場合について言えば、能力の半分は生まれた段階で決まっているということです。
なので、才能がまったく無い人が肉体の限界まで長距離走のトレーニグを積んだところで、せいぜい「全く努力しない天才」くらいの能力にしかなりません。
実際、僕の高校時代の友人には天才的な有酸素運動能力を持っている人がいたんですが、彼は全く運動をしない「もやしっ子」だったにも関わらず、いざ長距離を走らせると、毎日走り込んでいる陸上部員たちと互角の勝負をしていました。
まあ「生まれつき」という部分に関して言えば、容姿に関する話がもっとも身近で分かりやすいでしょう。
本当ならこんな事は言いたくないんですが・・・
いわゆる「ブサイク」と呼ばれるような人が、死に物狂いで努力したところで、芸能人のような容姿を持っている美男美女よりもモテるということは、残念ながら無いと思います。
仮に、競争で誰かに勝つ必要が無かったとしても、100メートルを10秒以下で走れるのは限られた人だけだし、生まれながらにして劣っている能力は、努力で伸ばしても限界があるそれが事実なんです。
「努力が報われる」ことの意味
つまり、理論的に考えるのであれば、
・努力が報われる場合もあれば、報われない場合もある
そして、何を狙うかによって難易度は変わるので
・難しい目標を立てた時ほど、努力は報われにくくなる
ということになるでしょう。
努力についての「名言」として有名なマンガのセリフに、「はじめの一歩」の中に登場する名トレーナーの鴨川会長の言葉があります。
「はじめの一歩」第42巻より※( )部分は当サイトによる追記
ここまでに書いたことを前提に考えると、この言葉の通り「報われる」のは「すべての人ではない」と考えることが正解と言えそうです。
でも、それって要するに、
「努力しても報われるかどうかは分からないよ。」
ってことになりますよね。
そんな風に言われると、僕みたいに勉強でもスポーツも人並みにできなかった人間からすると、
「じゃあ、自分にはやっぱ無理かな。」
という結論になってしまいそうになるわけですが・・・。
実は、ここで結論を出すのはまだちょっと早いんです。
確かに、何らかのことを達成したいと願っても、それができるとは限らない。
でも「努力が報われる」というのは「目標を達成する」という事とイコールだと考えていいんでしょうか?
言葉の意味を調べてみると「報われる」というのは「報いる」という言葉が受け身になった表現で、その意味は、
受けた物事に対して、それに見合っただけの事をして返す。
Google検索結果(SERPより)
という事になっています。
つまり、受け取る側にとっては、
やっただけの見返りがある=報われる
ということになります。
これについては、一般的に「努力が報われる」という表現が使われる時の感覚と、ピッタリ一致していると言えそうです。
でも、ここで一つ考えておくべきことがあります。
「見合っただけの事」や「見返り」というのが、具体的に何を指しているのか?ということです。
価値の基準というのは、見方によって変わることがあります。
だから、自分にとって価値のあるものでも、他人にとっても同じとは限らないですよね。
ここでまた一つ、たとえ話をしてみたいと思います。
例えば、近所の農家のおばあさんが農作業で苦労していることを知って、僕が手伝いを申し出たと仮定しましょう。
僕は、おばあさんの代わりに農機具で畑を耕したり、雑草を引っこ抜いたり、土を運んだりします。
で、そのおばあさんが、
「いやあ、本当に助かりました。何かお礼をさせてくださいな。」
なんて言ったとする。
お金が大好きな僕は、
「そんな、お礼なんていいですよ。」
と言いつつも、内心は
「お小遣いでももらえるのかな?」
なんて期待するでしょう。
しかし、翌日になって、そのおばあさんが僕の所に「お礼」として持ってきたのは、僕が普段あまり食べない大量のジャガイモだったとしたら・・・
僕は内心、ちょっとがっかりすると思います。
でもこれは、僕が「報われていない」と言えるんでしょうか?
必ずしもそうとは言えないですよね。
僕の期待したものとは違ったかも知れないけど、おばあちゃんは本当に感謝してジャガイモを持ってきてくれたわけだし、客観的に考えてもジャガイモには経済的な価値があります。
買えばお金がかかるものを、僕は受け取ったわけです。
いや、それ以前に、僕が本当に善意で行動していたとしたら、おばあちゃんに感謝してもらえた、という事実だけで「報われた」と思えるでしょう。
場合によってはお礼すら言われなくても「人助けができてよかった」と感じられるかもしれません。
変なたとえ話で恐縮ですが、僕が言いたいのは、努力が「どういう形で報われるか」ということにも着目しないと、簡単には結論を出せない、ということです。
努力の意味を考える上で大切なこと
既に何となく分かってもらえたと思いますが、僕が言いたいのは、努力は何らかの形で報われるが、それが望み通りになるとは限らないということです。
そして、以下の2つの事を理解しておけば、努力にはとても大きな価値があると思っています。
望んだ形で「報われる」ように努力する
努力をする上で最も大事なのは、どうすればそれが自分の望んだ結果に結びつくかを考えながら頑張ることです。
これはとても大変なことですが、これをサボっていると「どんな絵を描けばいいですか?」と言いながら成功しようとしている画家のような状態になってしまいます。
もちろん人に教わったり、誰かのやり方を参考にするのはいいんですが、最後には自分で考えて決めるべきだということです。
メジャーリーガーであるダルビッシュ選手も、こんな言葉を残しています。
練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。
— ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) June 11, 2010
思い通りにならなくても、努力に意味がある事を理解する
どんなに一生懸命考えながら努力しても、その結果が期待通りになるという保証はありません。
例えばスポーツの大会で一位を目指していても、入賞すらせずに終わってしまう、なんていうことは珍しくないでしょう。
でも、それは報われなかったのではなくて「期待通りの形で」報われなかったというだけです。
練習という努力をしなかったら更に順位は下がっていたかもしれませんし、そもそも「努力できた」ということはそれだけで貴重なものなんです。
これは僕自身と、僕がサポートをしてきたいろいろな人を見た上での経験則ですが、努力というのは筋力などとよく似ていて、鍛えるとその力が増していきます。
言い換えれば、努力した人は「努力する力」がアップして、他のことに対しても努力できるようになるということです。
「今でしょ」のフレーズで有名な名物講師の林先生が、以前にこんな話をしているのを聞いたことがあります。
(可能な限り林先生の言ったことをそのまま書き起こして紹介しています。)
林先生の「努力」に関する話
受験生に(試験の)ひと月前に必ずする話があるんですよ。
あとひと月だね。別に君らが頑張ろうが頑張るまいが、俺には関係ない、と。
ただ、これだけは言えるっていう事がある。
「この一月、頑張れるか頑張れないかが一生を決めるよ。」
どういう事かって言うと、
- 1ヶ月頑張った結果として受かる人
- 1ヶ月頑張ったけれど落ちる人
- 1ヶ月頑張らなかったけど受かる人
- 1ヶ月頑張らなかったから落ちる人
こうやって書くんですよ。黒板に。
この4つに分かれる。
4はまあ、一番多いかな。
この時に、頑張って受かったやつ、頑張って落ちたやつはいいんですよ。
「俺は一月は頑張れた」と。
だけど、まあ、そこまでの準備が足りなければ落ちるからね。
問題はコレ。(3.の頑張らなかったけど受かる人)
受かったけど、なんか最後の一月は頑張れなかった。
「俺は一月も頑張ることのできない人間なのか」っていう思いで生きてかなきゃいけない。
・・・そうなるかどうかは君らの自由だよ、っていう話をするんですよ。
1ヶ月頑張れるっていうのは実はすごいことで、一月頑張れると・・・1年頑張れるね。
1年頑張れる人は、極端な話、10年頑張れる。
10年頑張れるっていう人は、だいたい一生頑張れるんですよ。
僕たちは「報われる」ということを、つい「望んでいた結果になったかどうか」という形だけで判断してしまいがちです。
しかし、努力できるということは、それだけで大きな武器になるものだし、その力さえあればまた次のチャンスに挑戦することができます。
そこに価値を感じられれば、努力はきっと報われるし、やっぱり努力することには大きな価値があると思うわけです。
今回のまとめ
最後に、今回のまとめです。
ポイント
- 努力は必ず報われるとは限らない
- ただし、努力には一定の見返りがある
- 努力して後悔しないために大事な2つのこと
→望んだ形で「報われる」ように努力する
→思い通りにならなくても、努力に意味がある事を理解する