・お金が無いと、心も狭くなってしまいます
今回はこんな風に、豊かさ(経済力)とお金の問題について考えている人たちに向けて、一つの興味深い話をシェアしていきましょう。
僕は社会人になってから、年収150万円以下から1500万円以上と、数字にして10倍以上の収入の格差を経験してきました。
(残念ながら、年収が150万円に届かなかった頃の僕は、やや心が荒(すさ)んでいた気がします)
また、起業家の人たちとの付き合いや、仕事に関する相談を受けてきた経験も入れれば、それこそ今月の生活費の心配をしているような人から、年収1億以上の人たちの考え方にも触れてきています。
そんな経験を活かして、お金と心の豊かさ・貧しさに関しての見解も書いてみたいと思います。
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目次
あるアフリカの農夫の話
甘い物が特に好きではなかったとしても、
「チョコレートを食べたことがない」
という人は非常に少ないでしょう。
僕たちにとってチョコレートというお菓子は、ごくありふれた食品です。
子供でも小銭を持って近所のお店に行けば、すぐに買うことができます。
しかし、世界中の誰もがチョコレートを簡単に手に入れられるというわけではありません。
チョコレートの原料であるカカオ豆を作っている途上国には、なんと自分たちで原料を作っているにも関わらず、チョコレートを生まれてから一度も食べたことがないという人もいるんだそうです。
これはあるテレビ番組のスタッフが、カカオ豆を作っているアフリカのどこかの農家を取材していた時の話です。
真っ黒に日焼けした農夫の男性(年齢は30代くらいだったと思います。)に番組のスタッフが板チョコを見せたところ、
「それはなんだい?見たこと無いなぁ。」
という答えが返って来ました。
そこで撮影スタッフは、それが彼らの栽培するカカオ豆から作った「チョコレート」というお菓子なんですよ、と説明した上で、「どうぞ食べてみてください。」とその農夫にすすめたわけです。
その男性はチョコのひとかけらを口に入れて、
「美味しい!こんなもの初めて食べたよ!」
と満面の笑顔で言いました。
僕はカカオ豆を作っている農家の人が、チョコレートの存在すら知らないことにも驚いたのですが・・・
一番特に印象に残ったのは、彼がその直後に発した言葉でした。
彼はチョコレートの美味しさを味わった次の瞬間に、
「本当においしいなあ!これ、僕の仲間たちにも分けてあげていいかな?」
と本当に嬉しそうに言うわけです。
生まれて初めて食べた、感動するくらい美味しいチョコレート。
それを味わって最初に言う言葉が、
「どうやって作るの?」
でも
「もっと欲しい。」
でもなく
「仲間に分けてあげたい。」
だなんて、なんか素敵ですよね。
その後、彼はもらった板チョコを割って、仲間達と分け合いながら嬉しそうに食べていました。
お金と心の豊かさ・貧しさの関係
資本主義の世の中では、お金が無いと幸せになることが難しいのが現状です。
これは「お金と幸せの関係 -メキシコの漁師の話が教えてくれること-」にも書きましたが、お金が十分に無いと、ちょっと予定外の事が起こっただけで普段の生活すら維持できなくなるということもあります。
冒頭にも書いた通り、僕は「生活費がピンチ!」という人の相談にも乗ってきましたが、残念ながらお金に余裕が無いと気持ちにも余裕がない、つまり「心が荒んでいる」人が多かったです。
だから僕はいつも「副業をしましょう」「収入源を増やしましょう」と言っているわけです。
しかし「お金だけでは手にはいらない幸せ」というのものがあるのも、また事実だと思います。
どんなに高級な美味しい料理を食べるお金があっても、誰も回りにいなくて黙々と一人で食べてたら、それほど美味しいとは感じないんじゃないでしょうか。
より厳密に言うなら、純粋に味覚としては美味しいと感じられたとしても、幸福感として考えればイマイチだと思うわけです。
その反面、気の合う仲間や家族、大好きな人と一緒なら、100円のおにぎりだって楽しい食事になるでしょう。
(今回のチョコレートの話は、特にその部分について考えさせてくれるものでした。)
僕のサイトやメールを読んでくれている人の多くは「お金を稼ぎたい」「経済的に豊かになりたい」という人が多いですが、お金を追求する上では次の2つの事を忘れないで欲しいと考えています。
何のためにお金を稼ぐのか?ということを考える
必死になってお金を稼ごうとしていると、いつの間にか「お金そのもの」が目的になってしまって、結果として幸せになれないという事になりかねません。
僕がネット上で知り合った、あるwebサイトのオーナーは、最初の頃こそ運動に関する「体験談」的な情報を発信していましたが、人気が出てアクセス数が増えた途端に「お金の暗黒面」に落ちてしまいました。
彼はある時を堺に、そのサイトの内容とは全く関係のないオンラインカジノの広告を出したり、法律に違反するような方法でサプリメントを宣伝したり、いかにも怪しいタイトルを付けた情報商材を自分で作って売り出そうとし始めました。
お金を求めるあまり、心が荒んでしまったんだと思います。
そのやり方があまりにも露骨だったため、匿名掲示板などで炎上が起こり、自宅まで特定されて、情報商材の発売は中止になりました。
しかし、今でも彼のサイト名をgoogleで検索すると、最初にサジェスト(提案)として表示される言葉は「詐欺」です。
自分自身や周りの人を幸せにするためにお金を稼ぎたいのであれば、他人を不幸にするような方法を使うことは、結果的に逆効果になると思います。
与える習慣・分かち合う習慣をつくる
よく「お金持ちはケチだ」とか、「いや、ケチだからお金持ちになるんだ。」という言われ方をしますが、僕が実際に接してきた印象からすると、両方とも間違っていると思います。
彼らはケチなのではなく倹約家、単に節約家なだけです。
だから、納得出来ないことにはわずかなお金も払おうとしませんが、価値のあることに対してはお金を出すことを全く惜しみしません。
例えば、銀行のATM手数料を払うことを嫌がったり、新幹線や飛行機のチケットは100円でも安いものを購入しようとする反面、誰かを食事をする時には同席している人が好きそうなものを値段も見ずに注文し、全額自分が支払う、というような行動パターンだったりするわけです。
これはある投資家に聞いた話ですが、人間というのは「与えている価値」と「受け取っている価値」のバランスが崩れると、心のバランスも崩れてくるんだそうです。
だから、誰かのためにお金を使ったり、ビジネスパートナーに支払う報酬を増やしたりすると「受け取る」と「与える」のバランスが取れて、それによってさらにやる気を持って仕事ができるようになる、とのことでした。
手に入れたお金を誰かのために使うということが、お金持ちが持っている「心が荒んでしまわないための習慣」ということなんでしょう。
お金と心の関係に関することわざ
古くから伝わることわざ・格言の中には、人の性質をよく表しているものが多いです。
そこで、今回の話と関連性が深そうなものを、いくつか引用してみました。
これは、貧乏になるとお金意外のことを考えられなくなって頭が鈍るとか、暮らしが貧しくなることで心まで貧しくなるという意味のことわざです。
まさに「貧乏だと心が荒む」という考え方そのものですね。
これは、お金があるうちは人が寄ってきたりするけど、それが無くなると人は離れていく、というような意味です。
最初からお金を目的とした人間関係ということですから、既に心が荒んだ状態の人の行動についてのことわざと言えるかも知れません(笑)。
お金持ちは「喧嘩をしても得にはならない」ということをよく知っているので、人と争うことを好まない、という意味のことわざです。
例外もあるにはありますが、しょっちゅう小さないざこざを起こしているのは、経済的にも心理的にも貧しい人という気がします。
錦というのは高級な布(織り物)のことで、要するに見た目は貧しくても、立派な心を持っている人はいる、という意味です。
今回の話に出てきたカカオ豆を育てている農夫の男性は、まさに「心は錦」と言える例だと思います。
今回のまとめ
最後に、今回のまとめです。
ポイント
- 経済的に貧しくなると、心は荒みやすい
- ただし、お金がある=心が豊かとは限らない
- お金を稼ぐ本来の目的は、幸福度を上げること