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ライフワーク発見

「生きる意味とは何か?」について考えてみた

投稿日:

暗闇の中の少年

元底辺サラリーマン、現在は独立して好きなことを仕事にする「ライフワーカー」育成のプロジェクトに取り組んでいるROCKです。
・人が生きる意味って何なんでしょうか?
・自分が生きる意味が分かりません

つらい体験をしたり、自分の存在価値に疑問を持ったりすると、「生きる意味って何だろう?」「自分はなんで生きてるんだろう?」という迷いが生まれることがあると思います。

毎日、面白くもない勉強や、やりがいのない仕事、むなしい人間関係の中にいることで、生きているのが辛くなったり、自分がやっていることが無意味だと感じている人もいるでしょう。

今回は、そんな人に向けて伝えたいことを書いていきます。

ただし、最初に断っておきますが、このページ書いてあることは、僕がいろいろと迷いながら出した「一つの意見」に過ぎません。

世の中には、
「人が生きる意味とは◯◯です。」
と独自の理論を展開する人がたくさんいますが、僕の話も含めて、言われたことや書かれていることをそのまま鵜呑みにしないように注意して下さい。

ネット上だけを見ても、宗教の勧誘やカウンセリングなどの商売のために、人の悩みを利用しようとしている(ように見える)サイトがたくさんあります。

どんな場合にでも、他人の主張や意見は「たくさんある考え方の一つ」と考えないと、君自身の「生きる意味」は決して見つからないと思います。

そして、このこのページでは、
「生きる意味を知るためには、このLINE@に登録を!」とか、
「メアドを登録すれば、生きる意味を解説する小冊子が届きます!」とか
変な焦らし方はしないので、どうか安心して読み進めてください(笑)。

この記事についてご質問・ご意見がある場合は、記事の下部にあるコメント欄からご連絡ください。原則として24時間以内に回答を掲載させていただきます。

「生きる意味」は視点によって変わる

人間関係

これは何も「生きる意味」に限ったことではないのですが、そもそも行動や存在の「意味」というのは視点によって変わるものです。

例えば、僕の両親から見れば、僕は「大切な息子」かも知れませんが、道でたまたますれ違った人から見れば、居てもいなくても大して変わりのない「その他大勢のうちの一人」でしょう。

僕が死んだら、友人や家族は悲しんでくれると思いますが、小学校時代の同級生にそれを伝えたとしても「誰だっけ?その人。」と言われるかも知れません(笑)。

僕がメルマガを送ると、「感動した!」と言ってくれる人もいれば、読まずにそのまま「ゴミ箱」に入れる人もいる。

世の中とはそういうものです。

それと同じ様に、人生の意味も「人それぞれ」というより、考え方の数だけ無数にあるものなんです。

だから、ある人にとっては「エベレスト登頂」ということは大きな意味を持ちますが、登山に全く興味のない人にしてみれば、「なんで何の得にもならないのに、わざわざ危ないことするの?」という風に見えたりもするでしょう。

さらに言えば、同じ人から見ても、状況によって意味が変わるという場合もあります。

例えば、貧乏な時には「お金が全て」だと考えて必死に仕事をしていても、色々な経験をするうちに「人を喜ばせる仕事をしたい」という考え方をするようになる起業家は結構多いです。

「生きる意味」は主観で考えなくてはいけない

自分自身

ここまでの説明で何となくイメージできているかも知れませんが、人が生きる意味には、大きく分けると2つの種類のものがあります。

一つは主観、つまり君自身が感じる生きる意味。
もう一つが客観、つまり他人から見た「君が生きている意味」
です。

そして、僕たちが常に考えなくてはいけないのは、これら2つのうちの「主観」つまり「自分から見た」生きる意味です。

「いや、客観的な視点も大事なんじゃないの?」
と思うかも知れませんが、残念ながら他人の考え方というのは変えようがありません。

自分にとって意味があるということを一生懸命やっているうちに、周りの人から見方が間接的に変わるということはあっても、周りの人の見方を中心に自分が生きる意味を考えてはダメなんです。

自分以外の人から見た基準で考えようとしていると、
「親の期待に答えようと思って生きてきたけど、急に自分が何のために生きているのか分からなくなった。」
というように、本当に生きる意味を見失ってしまいます。

また、生きる意味が、「生まれたときから決まっている」とか、運命のように「与えられている」と考えるのも非常に危険です。

そんな風に、生きていく上で重要なことを自分以外のものに依存していると、心の弱みにつけ込もうとする人たちににとっての絶好のカモになってしまいます。

僕が相談を受けてきた人の中にも、
「人生の意味について悩んでいて、参考になりそうな本を買ったら、中身は宗教の勧誘みたいな話だった。」
「人生の意義について解説するというメルマガに登録したら、知りたい内容とはほとんど関係ない文章が毎日配信されてくるようになった。」
という経験を持つ人が複数います。

まあ、被害がこの程度で済んでいれば「次は気をつけよう」で済むかも知れませんが、いわゆるカルト宗教や悪徳商法の勧誘者は、そういう悩みにつけ込んで来ることが珍しくないんです。

ちなみに、僕は宗教というものが「人が生きていく上で役に立つ」事はあっても、生きる意味を直接教えてくれることはまず無いと考えています。

既に書いたように、生きる意味になるかは主観でしか分からないもので、これは言ってみれば「晩ごはんに何を食べたいか?」という質問のようなものです。

その答えは「探す」ものでも「見つける」ものでも「診断してもらう」ものでも「教えてもらう」ものでもなくて、「自分で決める」ものだと思います。

それを自分以外のものに決められるのって、明らかに不自然だと思いませんか?

もし神様が存在していたとしたら、きっと僕たち一人ひとりの幸せを願ってくれているずです。

その神様が、
「あなたの生きる意味は、ひたすらトイレを掃除して、人の役に立つことです。」
みたいな事を勝手に決めるとは到底思えません。

仮にそんなことを言ったとしたら、「自分が叶えられなかった夢を子どもに託す」みたいなことを考える親と一緒で、人を自分の所有物のように扱っていことになります。

そんな「神様モドキ」に信じる価値はありません。

本物の神様ならきっと、
「あなたの幸せは、あなた自身が見つければいいのです。」
と、僕たちの自由を尊重してくれるのではないでしょうか。

そして、そういう「大まかな答え」でいいのなら、オーストリアの有名な精神科医である、フロイトという人が残した次の言葉が正しいと思います。

人間が手に入れようとしているのは自分の幸福である。
ジークムント・フロイト

生きる意味はどうやって決める?

コンセプトと紙

生きる意味というのは「自分で自由に決めていい」と言われたからといって「じゃあ、コレにします。」とすぐに決められるようなものではないでしょう。

さっき例に出した「晩ごはんのメニュー」を決める場合ですら迷ったりするのが人間ですから、さらにテーマが大きくなれば、迷いが大きくなるのも当然のことです。

だから、多くの場合、どんなに明確な目標を持って生きているような人でも、あらかじめ「自分の生きる意味はコレだ!」と決めてから行動をしているわけではありません。

目の前の小さな目標に向かいつつ、ボンヤリとした「生きる意味」の輪郭を少しずつハッキリさせていく。

本来はそういうものなんです。

しかし、「ある状況」にいる人は、そんな風にじっくり構えていることができず、「人は何のために生きるのか?」「人間は生きる意味は?」という結論を急いで求めようとします。

その「ある状況」というのは「今現在、幸せを感じられなくなっている」ということです。

フロイトが言っているように、僕たちは「自分の幸福」を求めているわけですから、幸せを感じている時に生きる意味を探す必要はないですし、探そうとも思いません。

だから、大好きな人とデートしてる最中や、本当に美味しいものを食べてる時に「生きる意味って何だろう?」とは考えないわけです。

そんな時に思うことは、むしろ「生きててよかった!」じゃないでしょうか。

ビール好きのオジサンは、冷たいビールを口にした時に「この一杯のために生きてるんだよなあ。」って言ったりするくらいですから、まさにそこには「人生の意味」があるとも言っても過言ではないでしょう(笑)。

反対に、そういう目の前の幸せが見つけられなくなると、人は自分がどちらに向かうべきなのかが分からなくなって、より遠くの「生きる意味」を探したくなるんだと思います。

向かっている方向が正しいかどうか分からない状況で進むのは、とても怖いですから。

しかし、そんな時に、普段からはっきり見えていない、遠くにあるものを探そうとしても、すぐに見つかるはずがありません。

なので、生きる意味が分からなくなった時は、少し視点を足元にズラして「君が幸せを感じられなくなっている原因」を探すようにしてみてください。

そして、それを具体的にリストアップしてみましょう。

例えば、こんな感じのものです。

  • 会社の仕事にやりがいがない
  • 人間関係にストレスを感じている
  • 勉強することに意味が見い出せない
  • 自分が何を望んでいるかが分からない
  • 人に必要とされているという実感が持てない
  • 何を基準に進路や転職先を決めればいいか分からない

繰り返しになりますが、人間は究極的には幸せになるために生きているわけですから、生きる意味を決めるためには、自分にとって何が幸せなのかを見極めなければいけません。

そして、目の前に問題が立ちはだかっている時にそれを考えるのは、非常に難しいと思います。

だからまずは、より具体的な悩みや迷いに向き合う事から始めてみましょう。

生きる意味のような遠い遠い目標と違って、目の前の問題についてなら、具体的な解決策を見つけることはそれほど難しくはありません。

例えば「仕事にやりがいがない」なら、

  • 今の仕事の何が嫌なのか
  • どんな仕事ならいいのか
  • その職業につくにはどうすればいいのか

というように順を追って考えていけば、解決策を見つける手がかりが掴めるでしょう。

少なくとも、あてもなく生きる意味を探すより、ずっと難易度は低くなるはずです。

もしも、「問題は何となく分かるけれど、それをどうすれば解決できるかわからない」という場合は、僕で良ければ相談に乗りますので、遠慮なくコメント欄に書き込んでもらえたらと思います。

今回のまとめ

最後に、今回のまとめです。

ポイント

  • 生きる意味は、人と場合によって変わるもの
  • 生きる意味は、自分を主体として決めなくてはならない
  • 幸せを感じられないと、人は生きる意味を知ろうとする
  • 生きる意味を決めるためには、目の前の問題に向き合うこと
<こんな人にオススメ>
  • 自分が何を望んでいるか、何をしたいかが分からない
  • やるべきことがあるのに、腰が重くて行動に移せない
  • 何かを始めても、すぐに挫折してしまうことが多い
  • この記事を書いた人
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ROCK

底辺サラリーマン→webビジネスを学んで独立。
現在は現在は好きなことをする「ライフワーカー」を育てるミッションを遂行中。
ハンドルネームはドランクドラゴンの塚地さん公認(笑)。

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