・なぜ、需要や供給によって値段が変わるんですか?
経済の世界でよく登場する言葉に「神の見えざる手」というのがあります。
これは別に、「いい子にしていると神様の見えない手が頭をナデナデしてくれてお金持ちになれるよ。」とか「悪い事をしてるとバチが当たるよ。」という話じゃありません(笑)。
じゃあ何なのかというと、1700年代に、イギリスのアダム・スミスさんという人が「国富論」という本の中で書いた、経済のしくみに関係した言葉です。
参考:アダム・スミス(Wikipediaより)
大ざっぱに言うと、「何かの値段(価格)というのは、人がそれを自由に取り引きする中で、丁度いいところに落ち着きますよ」というような話です。
今回は、この「神の見えざる手」について、詳しく書いてみましょう。
まずは、物やサービスの値段が上下するしくみについて、いくつかの実例を出してみたいと思います。
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目次
モノが値上がりする時に起こること
ちょっと、いや、かなり古い話になりますが、1990年代の終りごろ、「たまごっち」というおもちゃが大ブームになったことがあります。
「たまごっち」は小さな機械の中でペットを育てる電子ゲームで、定価は2000円くらい。
(今でもたまごっちは売られていますが、それのもっと古いバージョンです)
当時も、そんなに高価なおもちゃではなかったのですが、人気がありすぎてどこに行っても「売り切れ」でした。
なので、その値段はどんどんつり上がり、時には5万円以上で取引されたりしていたんです。
なんで、そんなに値段が上がったのか?
それは言うまでもなく、売られている個数が少ないのに、ほしがっている人がすごく多かったからです。
つまり、「需要」(欲しい)が「供給」(売られている数)を大きく上回っていたということです。
たとえメーカーが「値段を釣り上げてやれ!」なんて思わなくても、こういう時は自然に値段が上がっていきます。
なぜかというと、メーカーから普通の値段でたまごっちを買えたラッキーな人たち(業者さんも含む)のところには、
「3000円、いや5000円出すから売って!」
「いや、おれなら一万円だすぞ!」
という人たちが集まってくるからです。
そうすると定価がいくらだったとしても、取引される値段はどんどん上がります。
ちなみにその当時は、おもちゃの問屋さんも1万円くらいで出荷していたりしたので、お店で買ってもプレミア価格になってました。
だから、おもちゃメーカーは、何とかお客さんの希望に答えようと、たまごっちをどんどん作って売り続けたわけです。
モノが値下がりするときに起こること
たくさん作られたたまごっち。
しかし、流行というのは、いずれ終わるもの。
たまごっちも、目新しさが無くなってきて、欲しがる人の数も減っていきました。
需要>>>>供給
だったのが、
需要=供給
になり、最後には
需要<<<<供給
の状態になってしまったわけです。
そうすると、一時は数万円のプレミア価格を誇ったたまごっちも、定価どころか、もっと安い値段じゃないと売れません。
たくさんの在庫を抱えたお店は、「これでも売れない。もっと値下げしなきゃ。」という事を繰り返し、最終的には、何と50円とか100円で売られ始めたんです(笑)。
定価で仕入れたお店は大赤字ですが、そうしないとゴミになるだけですから仕方がありません。
当然、そんな風になってしまったら、メーカーもたまごっちを作ろうとはしなくなります。
そんな風にして、第一次たまごっちブームの終わりをむかえたわけです。
オークションを考えてみよう
会社やお店ではなく、普通の生活の中でも「神の見えざる手」を意識しやすいのが「ヤフオク」のようなネットオークションです。
オークションで人気のあるものが出品されると、たとえ出品価格が1円だったとしても「1000円」「2000円」と入札が増えていきます。
そして、結局は、同じ商品を売っている他のお店と、大して変わらない価格で落札されることになるのが普通です。
これに対して、買おうとする人が一人しかいなければ、1円で出品したものは、本当に1円で買われてしまうでしょう。
「最低1000円で売りたい!」と思っても、その値段で誰も買わなかったとしたら、500円、300円と値下げしていくしかありません。
最後にはちょうどいいバランスになる
こんな風に、モノやサービスの値段は、取引する人達の行動によって勝手に決まっていくという性質を持っています。
さらに、作られるモノの量も、高い値段で取引されていれば自然に増えるし、安くしないと売れないならあまり作られなってくる。
そうやって、経済の世界では、自然にモノの値段や作られる量が調節されて、最後には必要なものが必要な分だけ作られるような性質があります。
これがまるで、「神様が調節しているように」起こるというのが「神の見えざる手」という話です。
ちなみに、この「神の見えざる手」をグラフ化すると、以下のような感じになります。
「神の見えざる手」の考え方は間違っている?
「神の見えざる手」について辞書などで調べると、こんな意味が出てきます。
市場において、各個人の利己的な行動の集積が社会全体の利益をもたらすという調整機能。
※goo辞書より
つまり、経済のことは特定の誰かがコントロールするんじゃなく、世の中で取引する人に任せておけば「勝手にちょうどいいところに調節される」ということです。
この表現だけを見ると、このページで解説してきたことと同じ意味に見えますが、実はちょっと違います。
なぜかというと、完全に取引している人たちの自由に任せてしまうと、一部の大きな力を持っている人たちが、値段をコントロールしてしまうからです。
例えば、ダイヤモンドはとても高価な宝石ですが、これは一部の会社だけがダイヤモンドの取り引きを支配しているからだと言われています。
参考:ダイヤモンドの価値は大幅に下落する 米大学教授の警告
ちょっと極端な話ですが、鉱山から取れるダイヤモンドの数がどんなに多かったとしても、そのダイヤモンドを掘る権利を持っているのが1つの会社だけだったとしたら、値段はその会社が決めることになります。
「たくさんあるけど、ダイヤモンドは最低でも、1個100万円じゃないと売らないよ。」
と言われたら、他の人が持っていない以上、その値段で買うしかありません。
完全にルールが無い状態だと、そうやって権力を持っている人が値段をコントロールしてしまうわけです。
これを考えると「勝手にちょうどいい値段になる」というのは間違っていることになります。
じゃあ、アダム・スミスさんは、一体何が言いたかったんでしょうか?
これについては、
「政府が変なルールを作って、取り引きを制限するのは良くないよ。」
という意味だと考えるのが正しいようです。
権力やお金を持っている人が「自分が得をするため」だけにモノの値段をコントロールすることは、ルールを作って制限しなくてはいけません。
そうしないと、立場の弱い人たちは、いつまでたっても損な取り引きばかりさせられてしまうからです。
でも、政府が「国民のため」とか「世の中のため」と言って、輸入するものに税金をかけたり、「あれは禁止」「これも禁止」と言い過ぎると、結局は世の中全体に悪い影響を与えることになります。
実際にアダム・スミスさんは規制への批判、つまり「政府が変なルールを作るのは良くない」という話をする中で、この「神の見えざる手」という言葉を使っていたんだそうです。
参考:あなたは"神の見えざる手"を誤解している
そう考えると、「ある程度のルールは必要だけど、必要以上に厳しいルールを作ると、みんなが損をすることになるよ」という話だと考えるのが正しい、ということになりそうです。
それなら、結局値段をコントロールしているのは神様ではなく「人の手」という感じがしますけどね(笑)。
ちなみに、「神の見えざる手」は英語だと「invisible hand」つまりただの「見えない手」という言葉なので、「神の」という部分が大げさに聞こえるとしたら、それは翻訳の問題と言えると思います。
今回のまとめ
最後に、今回のまとめです。
ポイント
- 「神の見えざる手」とは、需要と供給により価格が決まる法則
- 需要>供給になると、物やサービスの価格は上がる
- 需要<供給になると、物やサービスの価格は下がる
- 適切なルールがないと、価格は操作されてしまうこともある