・周りの人に必要とされていなくて、生きている意味が分かりません
こんな悩みを持って苦しんでいる人に、伝えたいことを書きます。
人として生きていく中で、自分の存在価値がないと感じるのは本当につらいものです。
アドラー心理学には「全ての悩みは対人関係の悩みである」というような言葉がありますが、「誰からも必要とされていない」という感覚は、その中でも最も深刻な物の一つだと思います。
参考:アドラー心理学(Wikipediaより)
誰からも必要とされていない=存在価値がない=生きている意味がない
という風に考えてしまうんですよね。
僕自身もそういう悩みを持ったことはありますし、自分がそれを克服してからも、同様の悩みを持つ多くの人の相談に乗ってきました。
そこでこのページには、なぜ人が「必要とされていない」という悩みを持つのか?ということと、どうすればそれを改善できるのか?という2つのことをまとめておきたいと思います。
ちょっと長くなりますが、ぜひ最後まで読んでみて下さい。
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目次
「必要とされていない人」と「必要とされている人の違いとは?
悩みを解決するためには、何よりも悩みを発生させている原因について知っておかなくてはいけません。
原因を取り除かなければ、根本的な解決にはならないからです。
それでは、僕たちが「必要とされていない」という悩みを持つのはなぜなんでしょうか?
どこに根本的な原因があるんでしょうか?
僕は今までに自分を含めて、この悩みを持つたくさんの人に会ってきました。
しかし、少なくと僕から見て、本当に「世の中の誰からも必要とされていない」というような人には会ったことがありません。
仮にその人が亡くなったりすれば、家族や友人、同僚や知り合いの中には悲しむ人もいる。
そういう普通の人が「自分は必要とされていない」と悩んでいるわけです。
例えば、もしも今、僕が死んだら、さすがに「誰も悲しまない」ということは無いでしょう。
「多くの人が悲しみに暮れる」ということは無いにしても、家族や知り合いの中に数人くらいは残念がってくれると思うし、仕事や私生活の事でも、多少は困るという人がいるはずです。
そしてその状況は、僕が「誰からも必要とされていないのでは?」と悩んでいた頃から特に変わっていません。
これについては、多くの人に同じことが言えるんじゃないでしょうか。
よほど他人を傷つけたり、自分勝手に周りの人を振り回してきた人でない限り、その人が居なくなれば誰かが悲しみ、その人が果たしてきた役割の分だけ困る人も出てきます。
例えば、今日僕が君に会ったとして、その後に君が亡くなってしまったりすれば、僕は間違いなく悲しむはずです。(実際にそういう経験をしたこともあります)
でも、もしも昔の僕がこういう事を言われたら、きっとこう言い返しているでしょう。
「そんなの別に、僕である必要はないですよね?誰か別の人が僕の代わりにあなたに会っていたとしても、あなたはその人に同情していたはずです。」
つまり、自分にも存在価値や役割が全く無いわけではないけれども、それは別に「自分でなくてはならない」ものじゃなく、誰にでも代わりができるだろう、ということです。
しかし、突き詰めて考えれば、これは誰にでも言えることです。
僕や君だけでなく、世の中の誰が居なくなったとしても、ほんの一部の人が悲しむだけで、世の中は変わらずに回り続けていきます。
家族や恋人、友人を失った人は悲しむと思いますが、やがて新しい人間関係を作って、その中で幸せを探していくでしょう。
権力者や有名人が亡くなったりすれば、多少は大きく報道されたり、組織の一部が混乱するかも知れませんが、それも一時的な出来事に過ぎません。
恐らく数年も経てば、ほとんどの人が
「ああ、あの人、亡くなったんだっけ。」
の一言で片付けるようになるでしょう。
そう考えれば、絶対的な意味で「必要とされている人」なんて、ただの一人もいないことになります。
ただし僕は、そう考えれば「必要とされていない」という悩みが消えるなんて言うつもりはありません。
ここで言っておきたいのは「必要とされている」とか「必要とされていない」という事には何の基準もなく、あくまでも「本人がそう感じる」というところから悩みが発生しているということです。
深刻な悩みであることは間違いありませんが、それを解決するために変えなければならないのは僕たちの頭の中であって、他人の評価では無いということです。
次の項目では、もう少しこの部分について説明していきましょう。
多くの人に必要とされる人になる方法
前の項目では「自分は必要とされていない人間だ」という悩みは主観的なものである、ということを書きましたが、この事について昔の僕がコメントするとしたら、たぶんこんな感じになると思います。
「基準が無いと言ったって、その人がいなくなったら周りの皆が悲しむような人もいれば、いなくなっても気付かれないような人もいるでしょ。僕は自分を後者だと思うから悲しいんですよ。」
つまり、絶対的な基準はなくても、相対的な(比較による)価値はある、ということですね。
でも、相対的に見て「人に必要とされたい」という事なら、いくらでも解決法はあります。
実際のところ、人に愛され、必要とされるようになるために、特殊な能力や経験は必要ありません。
それを示す、一つの興味深いエピソードを紹介しておきましょう。
ヒーローになった郵便配達人の話
アメリカのジョージア州で郵便局員をしていたフロイド・マーティンさんが、35年間続けた仕事を引退する時、地元の人が数百人も集まる盛大な引退パーティーが開かれました。
その様子はSNSで拡散され、さらに日本を含めた海外のテレビ番組でも放映されて、彼は一躍「時の人」になったわけです。
A beloved mail carrier, Floyd Martin was honored in an amazing send-off for his retirement this week. The residents of Marietta, Georgia threw a block party and even started a fundraiser for him. @DylanDreyerNBC is in the #OrangeRoom with more. pic.twitter.com/3oxnwGomrK
— TODAY (@TODAYshow) May 25, 2019
その理由は、彼の毎日の行動にありました。
マーティンさんは「トラックに乗って荷物を届ける」という普通の郵便配達員でしたが、彼は毎日の仕事の中であらゆる人に親切に接していたそうです。
マーティンさんは、地域でスポーツなどのイベントがあればそれに参加して手伝い、子供が学校を卒業すると聞けばポストにお祝いを入れたり、住民たちの飼っているペットを一緒に可愛がったりしていました。
また、お年寄りや体の不自由な人を助けたり、悩みを持つ人の相談にも乗ってあげていたそうです。
35年間も善行を積み重ねたフロイドさんは凄いですが、僕たちだってその気になれば、それなりに多くの人に愛され、感謝される人になる事は可能です。
例えば、今すぐに近所のホームセンターに行って掃除用具を買い込みます。
そして、毎朝少しだけ早起きして、近所の道や公園を掃除しまくってみてください。
平日は忙しくて無理!という場合は、週末だけでもいいでしょう。
そして誰かに会ったら笑顔で挨拶して、掃除の前後の様子をSNSなどで配信します。
さらに、その活動を評価してくれる人が現れたら、その人にも活動を手伝ってもらってください。
この活動を何年も続けていたら、きっと君は多くの人に感謝されて、愛される存在になっているはずです。
ただ、こんな話をしたところで、君は恐らく「何か違う」と感じているでしょう。
僕も同じことを言われれば、同じことを感じると思います。
それを実行すれば人に愛され、必要とされる人になれると分かっていたとしても、です。
ここからは、その理由について考えてみましょう。
本当の悩みは「理想と現実のギャップ」と「自己評価の低さ」
「必要とされてない」と悩みつつ「必要とされる方法」を知っていてもやろうとは思わない。
その理由は僕が上に書いた「必要とされる人になる方法」が、君の理想像と違っていたからではないでしょうか?
仕事の上で評価されたいとか、異性として愛されたいとか、組織やグループの中で重要な役割を与えてほしいとか、人によって「必要とされたい」の形は色々だと思います。
ただし、どんな場合でも、人から必要とされる上での「形」にこだわっているとしたら、それは自分自身の都合に過ぎません。
もしそうだとすれば、その悩みの本質は「必要とされてない」ということではなくて「理想の自分と現実の自分が違いすぎる」という部分にあることになります。
そしてさらに、そんな君自身がそんな「自分」を低く評価している。
つまり自己評価(セルフイメージ)が低いことが、悩みの本質なんです。
だとしたら、今後は「人から必要とされる」のを目指すのではなくて、「自分で自分を評価できるようになる」ことを目指していきましょう。
イメージ通りの「必要とされる」人に近づく
理想と現実のギャップを埋めるためには、まず君自身が何を理想としているのかということを見極める必要があります。
なので、現時点でそのイメージがはっきりしていないということであれば、まずは「ロールモデルの分析」などのワークで、それを明確にする事から始めてみてください。
また、「「何をしたらいいか分からない」から脱出する3つのワーク」などの内容も、今後どんなことに取り組んでいくかを決めるための手助けになると思います。
「環境を変える」ことの重要性について
既に一生懸命努力している自覚があるにも関わらず、周囲の人から全く評価してもらえないという場合は、そもそも今の環境に問題がある可能性もあります。
例えば、インターネット上では多くの人に影響を与えるような「インフルエンサー」として活躍している人の中にも、会社員としては全く評価されていなかったという人は多いです。
専業主婦として閉塞感を感じていた人が、趣味やビジネスの世界で大きな結果を残すということもあります。
こういうことが起こるのは、人を評価する基準が、環境によって大きく違うからです。
これを知らずに「目の前のことから逃げちゃいけない」「頑張っていれば報われるはずだ」と考えたりすると、さらに自己評価が低くなり、悩みは深くなっていきます。
これについては「変わりたい!自分が嫌になった人が生まれ変わるための方法」の中でも引用した経済評論家の大前研一さんの言葉が参考になるでしょう。
一つは時間配分を変える、
二番目は住む場所を変える、
三番目は付き合う人を変える、
この三つの要素でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。
※大前研一氏「時間とムダの科学」より
環境を変えることには、「人間が変わる方法」の3つの条件を全て満たす可能性があります。
それに対して多くの人は「目の前のことを頑張ろう」と決意するだけであることが多いので、ずっと理想の自分と現実の自分のギャップに悩み続けることになります。
今回のまとめ
最後に今回の内容を簡単にまとめておきましょう。
ポイント
- 絶対的な意味で「必要とされている人」は存在しない
- 「必要とされているかどうか」は本人の基準でしかない
- 本当の悩みは「理想とのギャップ」と「自己評価の低さ」
- 努力しても「必要とされない」なら環境を変えるべき